國束寺の梵鐘はどなたでも自由に撞くことが出来ます。
(午前8時から午後6時まで)

その余韻は非常に長く、聞く人の心を清浄にして響くことでしょう。
「一打洗心の響」ご来山の節は是非響かせて下さい。

 宝暦七丁丑(1757)十月良辰 松阪市鮹路の鋳物師、常保河内藤原清次作
口径90㎝、高さ120.6㎝の銅鐘

以下の銘があります

〈池の間第一区〉

涌福智山穂広峰之銘

夫当山者苟天照大神誕生之奇蹟也
聖徳太子嘗奉神勅以開基焉 山乎南方擁宮河之流北方対艶乎滄河孤峰鬱神秀 豈非勢州第一禅窟乎 蓋星霜経幾而芳躅殆将廃之頃聖武帝有臨幸于当山而乃新造営於伽藍且一百三十二之僧坊干儼然及平城帝之時仏閣咸焼失焉 后亦堂塔成且雖再鋳鐘亡幾破焉 嗟呼梵鐘之不鳴旧乎於是山神村人有中村勝右衛光忠 者自為檀越享保十三戊申九月復鋳鐘 蓋無清声則予改正之懐日不断由是予忍与山丁七村之役士而遂勧十方人民則頗施財聚 至於是宝暦七丁丑十月廿一日当国鮹路邑鋳工常保清次於当山亦鋳之 其為鐘也美而妙響猶有余分大 庶幾永以至イ早郡生之妄夢驚覚矣歟
干時宝暦七丁丑十月良辰
塔之坊即龍
浦之坊心宗
穂広峰国束寺現住大阿闍梨権大僧都法印澄忍敬白
東 原 水谷市左衛門 康嘉
平生谷 田 又兵衛  真則
同 村 横井 善吉  義隆
大久保 中屋 清兵衛 久長
立 岡 河内左京衛門 千寿
長 原 中西 平兵衛 真澄
坂 井 加藤 喜兵衛 福澄

〈池の間第三区〉
大工織鋳物鮹路住
常保河内藤原清次作
同 次男丹内清廣
権大僧都法印真澄上人報嶽西恩禅定門
法岸妙説禅定尼澄忍師匠父母也
三界満霊有縁無縁同生菩提

〈袈裟襷〉
為 説心了夢信士  梅室芳心信女
相鹿瀬村 
中村勘兵衛政時